はちのへ演劇祭 【銀河鉄道の夜へ PR文】市民参加型の演劇なんて、掃いて捨てろ!

長編作品「銀河鉄道の夜へ」の平葭演出から、マスコミや他劇場等へ設置するチラシ等と一緒にPRする文章を書いていただきましたので掲載します。


市民参加型の演劇なんて、掃いて捨てろ!

~宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」より 「銀河鉄道の夜へ」~

八戸市中心街活性化の切り札、八戸ポータルミュージアム「はっち」の小劇場スペースを会場として3週間にわたって開催される「はちのへ演劇祭」。
演劇祭の花形、一般公募したキャスト・スタッフとともに舞台を作り上げる市民参加型演劇。地方都市で演劇祭が企画されるとき必ずと言ってもいいほど登場する、ありふれた、どこにでもある仕掛け。参加者が多ければそれに比例し来場者も増えるだろうという単純な数学に基づく。はちのへ演劇祭では果たして違うのか?
「銀河鉄道の夜」を脚色し上演する。これもまた珍しくもない。宮沢賢治作品の舞台上演などやり尽くされている。が、新しいもの、実現されていないもの、誰も手掛けていないものを舞台化する必要はなく、敢えて言えば「銀河鉄道の夜へ」とそれを名付け劇化するのは、我々からすれば必然のことと考えている。

はちのへ演劇祭で我々が一体何を行おうとしているのか。何を見てもらおうとしているのか・・。素人が仕事の合間を縫って練習し、歯を喰いしばり頑張って芝居を作っているからエールを贈る意味でも観に来てください、ということでは決してない。
かつて演劇の盛んな街といわれた地方都市に小劇場空間を持つ新たな公共施設が誕生してから20ヶ月、これまで、ほとんどこの劇場で演劇が上演されなかったのは、この街に、もはや演劇が存在しなかったからだ。もっと早くにここが、演劇の場に活用されるべきだったとは思うが、しかし待て。ほんの少しのきっかけを与えただけで、もうあっという間に50人以上の参加者が集まっているではないか。これほど求められているのだから、八戸の地域演劇は衰え、荒み、廃れてしまったのでは絶対にないのだ。

住民参加型?参加型も不参加型もなく、地域で暮らす我々にとって、演劇をすることは生きていることと同義である。地域演劇が衰退してしまったというなら、それは我々生活者の生きる力が無くなった、と言われているのと同じではないか。演劇もそうであるようにすべての芸術は誰のものでもなく、すべからく我々市民のものだ。
だから、はちのへ演劇祭で上演する「銀河鉄道の夜へ」では、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」もテクストに用いている。「誰人もみな芸術家」「各々止むなき表現をなせ」「求道すでに道である」とする農民芸術と、「ほんとうのさいわい」を求めるジョバンニを重ね、さらには表現者である我々演劇市民もその鏡に映す。すべての人の営みそのものが創造性あふれる芸術なのだから。
「・・・おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう・・・」

(文責 作・演出/平葭健悦)
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by 8engekisai | 2012-09-03 17:47 | 演出ノート