八戸情報誌 amuse 2012年7月号

はちのへ演劇祭について、田中稔プロデューサーからアミューズに寄稿いただきましたので、掲載します。

「芝居やらねが」
 田中稔/はちのへ演劇祭プロデューサー


d0260262_2244541.jpg 私が芝居に参加したのは意外と遅く25歳の時である。それまでは柔道に打ち込む好青年?であったが、長横町の演劇関係者の集まるあるスナックで寡黙に酒を飲んでいたら素人の私に「君、芝居やらねが?」と当時ワクワク企画という演劇プロデュース企画代表の長谷川直行さんから声をかけられ初めて出演したのが「ニッポンウォーズ」1985年6月9日の公演であった。
 あれから27年八戸ポータルミュージアムはっちで「はちのへ演劇祭」のプレス発表の場に出席している自分がいる。これも何かの縁なのであろう。
 1980年代と言えば、バブルの時代であり全国的にも第三舞台、自転車キンクリート、キャラメルボックス等々新しい劇団ができていったが、八戸でもアララギ派、ワクワク企画、プレカン、我楽多屋、田中組、未成年劇場等々例外なく沢山の劇団ができた。八戸は元々高校演劇では日本一に三度輝くなど土壌はできており、80年以前からも劇団が数多くあり稽古場を所有している劇団もあり稽古場での公演を実施していた。そこに新興劇団ができたからもう大変、酒場では大声で、打ち上げではとっくみあいの演劇論が交わされ、本当に熱い芝居が演じられ、観ることができたのではないだろうか。
d0260262_2261245.jpg しかし、バブルの崩壊と共に劇場が減り、劇団が減り、観劇の機会が減りそして、当時頑張っていた人達は歳が増え、体重が増えて身軽さがなくなってしまった。
 このままで良いのだろうか、歳と体重の増えた人達は思っていたに違いない。そんな時、はっちで演激討論会なるイベントが昨年行われ、ある若い女の人が「今八戸で芝居をやりたいけれど劇団もわからないし、どうすればよいですか。」との質問があった。パネラーの人達はみんなショックを受けた。やっぱり芝居をやらなければ八戸は駄目になる(大袈裟か?)。やろう!

d0260262_2274081.jpg 2012年6月9日 はっち2階シアター2「今年の10月22日から11月11日の3週間、八戸演劇活性化の起爆剤として演劇を上演します。ついては演劇のキャスト、スタッフ、サポーターを募集します。演劇経験は不問です。あと足の長さや顔の大きさについては田中稔を基準に・・・・・」
 今、このアミューズを読んでる君、「芝居やらねが!」




d0260262_2293333.jpg田中稔プロフィール
1959年生まれ1986年「ニッポンウォーズ」で一緒だった下崎博之と二人で「芸能田中組」を結成。「悪魔のいるクリスマス」(作・北村想)で旗揚げ。現在田中組としての活動はしていないが、今年9月7~9日の「酔っ払いに愛を」の中で久々の二人芝居予定。
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